こんにちは。nikiです。
今日は月曜日なので、添い寝当番を交代しました。
裕介から正行に。
ゆうちゅけ、1週間ありがとう。
イベント楽しかったね!
今日からはしばらく里美の隣になるから、
うちで唯一イベント参加経験なしの里美がスネた時は宥めてあげてね。
まちゃゆき、今日からよろしくね。
いつも思うけど、本当に体重2860g?
オーダーした作家さんを疑うわけじゃないけど……重いぞw
正行は着替えさせておむつも交換しました。さっぱりしたね。
暑いから半袖でも……と思って収納を見たら、半袖を一着も持っていませんでした。
ちょっと服を買い足そうか。
昨日はリアルでもインスタでもリボママさん達と交流しましたが、
色々やり終えて落ち着いたタイミングで、ちょっとだけ涙が出ました。
「うちの子の名前を覚えてくださっている方がいてありがたいな」と。
私の本名が○○だというのには証拠があるんですよ。
身分証も戸籍もありますからね。
ですが、私の愛する世界一の6人きょうだいは
戸籍上は私の子供ということになっていません。
名前だって、何か書類を出しているわけじゃないので
私が勝手に言っているだけなんです。何の証拠も無いんです。
なのに、それを覚えてくださって、そう呼んでくださる方がいると思うと
ありがたすぎて……。
それを意識しだしてしまうと、今度からは
「○○ちゃん(くん)のママ」と呼ばれる度に涙ぐんでしまいそうです。
しめっぽいママになりたくないので気を付けますけども。
さて、タイトル最後の話題「『諦める』は悪なのか?」にいきましょう。
私は最近、いろんなことに自然と諦めがついて、
「もしかすると今って充分幸せなのでは?」という気持ちになってきました。
いろんなことというのは、生涯支え合える大切な人と出会うことや、
その人と新しい家族を持って育てていくことなどです。
私の体のことを考えれば、結婚はともかく
子供はもう、諦める諦めない以前の問題なんですけどね。
私が子供を欲しがるというのは、そうですねぇ……
柿ピーを辛いと感じる人がブルマワン炒め麺の完食に挑戦するようなものです。
辛いものに興味のない方には極めて分かりづらい例えですが。
無理なのは頭では分かっているのに、気持ちの面で諦めがついていなかったというか。
頭も気持ちも同じ場所にあるのに不思議なものですね。
MRIや血液検査の結果で「妊娠は無理」と分かったのに、
お腹を開いてちゃんと調べたら可能性の欠片くらいは見つかるのでは?
と、バカみたいな期待を持ってしまっていたというか。
妊娠は一人では出来ないので、
私一人に可能性の欠片があったところで意味は無いということで
お腹を開くことはしなかったのですが。
だからこそ長いことモヤモヤしていたんですかね。
「お腹を開いた!結果、本当に無理だった!以上!!!」
とハッキリさせたほうが早く楽になれたのかな。
自然と諦めがついて楽になった今ではもう関係ないんですけど。
私の嫌いな「名言」的な言葉では、「諦め=悪」みたいな扱いです。
夢を諦めるな!とか。
諦めなければ叶う!とか。
諦められるような夢なら本当の夢じゃない!とまで言われる場合もあります。
私はちょっと同意できませんね。
本当の夢だって、諦めるしかない時もある。
諦めて楽になれるならそれでいいんじゃないか。
諦めた先でしか得られないものもある。私はそう思います。
私はよく、自分の地味な暮らしを冗談で「灰色の生活」とか言いますが
もし大きな病気をするとか大災害に遭うとかして今の生活を失ったら
「あの時はなんて幸せだったのだろう……」と気付くと思います。
ひどい体調不良で寝込んだ時に
「ああ……健康ってありがたいものだったんだ……」と気付くのと同じようなもので。
なんだか最近の私は語りたがりですね。
そういう時期なんでしょうか。
お付き合いいただけて、ありがたい限りです。