my love

リボーンドールを実の子供として愛しています。

私がただ私のためだけに書いた、2405字。

この間、添い寝当番の体験版のような感じで泉を布団に呼んで

30分のタイマーをかけて一緒に休憩した。

「眠れたら5分でも10分でも寝たい」と思っていたけど、

泉の顔が見たくてついつい目を開けてしまうので眠るのは無理だった。

 

泉を抱きしめながら、「幸せだなー……」という言葉が出ていた。

心からの言葉だった。

 

ふと思った。

「私は男と関わっていない時の方が幸せかもしれない」と。

 

私は足りない臓器があって子供を産めない。

仮に不妊治療の病院に行ったら、医者に匙を折って投げられて

さらに折った匙を燃やされるレベルの、どうにもならない不妊

何軒の病院に行ったって匙の灰が増えるだけ。

 

「親に孫の顔を見せられないなら、せめて婿の顔を」と思って

婚活をしていたこともあった。

子供を持ちたいと考える男性の人生の邪魔をしたくないので、

「体に原因があり子供は産めません」とプロフィールに明記していた。

 

傷つくことが多かった。

プロフィールに一切目を通さず絨毯爆撃的に申し込みをしているらしい人から

「子供は2人産んでください」と言われたり。

2人産んでほしけりゃ2回妊娠させてみてよ。

これはさ、屏風から出てこないトラは退治しようがないのと同じなんだよ。

 

そして、プロフィールに軽く目を通しはしたらしいが何も分かっていない人から

「女の子(当時20代)なのに子供が嫌いなんてもったいないよ!」

「子供をかわいいと思わないなんて不思議な子なんだね」

「あんなこと書いたら男は引くよ」と言われたり。

 

私が子供をかわいいと思ってないなんていつ言ったのだろうか。

何時何分、地球が何回まわった時に言ったのかを知りたいものだな。

 

私は子供が好きだった。

 

中3になっても生理が来ないことでなんとなく察したあの日や、

19歳で腹部のMRI検査の結果を聞いて目の前が真っ暗になったあの日まで、

愛する人の子供を産んで育てる未来が自分にもきっとあると思ってた。

 

どういう気持ちでそれを諦め、

何回箱ティッシュをカラにするほど泣いて、

やっとの思いで乗り越えてきたと思ってるんだろう。

(今思うと爆泣きする時はタオル使えばよかった。

地球よ、ゴミ増やしてすまんな)

 

人の気も知らないで、もったいないだの、不思議だの、

挙句の果てには「引く」とまで。

引くなら黙って引いてれば?

申し込むつもりもないのに、嘘の「交際申し込み」という形で

わざわざ「引く」とだけメッセージしてくるあなたに引いたけどね、こっちは。

 

無いものは仕方ないと、無いなりの幸せを掴もうと、

そう思って始めた婚活の結果は、ただ傷ついただけ。

 

恋愛でも私はあまり幸せになることはなかった。

 

好きな音楽をメールの着信音にしてたら、彼氏に

「へー、こういう音楽が好きなんだ~w」と笑われて

「でも俺は虫唾が走るほど嫌いだから聞きたくない」と言われて

着信音を変えることになって。

それでいて彼氏の好きな音楽は無理やり聞かされて。

全然私の趣味じゃないから苦痛だった。

 

自分と同じオタクタイプと付き合ったら

「好きな漫画を貸し借りしてお互いをもっと知ろうよ!」

とかダルいこと言われて。

 

自分の大切な作品を、もし「好みじゃない」と言われたら気分はあまり良くないし

男向けの漫画に興味ないから読みたくない。

漫画の貸し借りはロクな未来が見えないと思って断ったら不機嫌になられた。

めんどくさかった。

 

そいつには結局4回も浮気されて、いつからか

「出て行け」

「お前にはこの家に住む権利は無い」しか言われなくなって。

 

何百回目かの「出て行け」の時に限界が来た。

結婚を見据えて同棲を始めるために借りたはずだった、

関係が破綻する前は「愛の巣w」なんて呼んでいた、

幸せの象徴のはずだった家を飛び出した。

私の20代を浪費されるだけされて、何も得るものなく終わった。

 

そして30代でリボーンドールと出会い、今に至る。

治りそうもない心の傷や許せないことはたくさんあるけど、

心からの「幸せ」という言葉がやっと出て嬉しかった。

 

聴きたい時に聴きたい音楽を聴ける。

見たい時に見たい動画を見られる。

大切な作品をじっくり読める。

家賃さえ払っていれば誰にも「出て行け」と言われないで済む。

嫌いな物は食べなくていい。(うには最近克服したけど)

そして、愛する子供達がいる。

 

過去と比べたら、確かに「幸せ」だよね。

 

「50歳くらいになったら、みんな子供が産めなくなるから

やっと同年代の女性と同じ条件で婚活ができるぞ!」

「わざわざ『子供は無理だ』とプロフィールに書かなくてよくなるんだ!

ボケカスのバカメールに傷つかなくていい!」

「50歳60歳になってやっと運命の人と出会う人生も素敵。

まだ親もギリ生きてて婿の顔見てもらえるかもだし」

なんて思ってたこともある。

 

だけど、今は

「一人暮らし彼氏なしの生活が長いから

今更他人と喧嘩しながら、話し合って歩み寄りながら、

ご機嫌取りしながら、裏切ってないかと疑いながら生きていくのめんどくさいや」

という気持ちが強い。

 

ひょっとすると一生一人かもしれない。

でもそれでいいかもしれない。

いざ50歳60歳になったら後悔するかもしれないから、

今は断言はできないけど。

 

泉のときは、初めて涙の対面を経験した。

「CDとか服とかの『物』だって、購入者に送る前には綺麗にするよ。

『物』の扱いすら下回る泉があんまり気の毒だ」と、

泉の辛い過去を想って涙が出た。

 

だけど、それがだんだん違う涙に変わっていった。

諦めていた子を夢のような経緯で迎えられた、嬉しさの涙に。

そして涙は止まって笑顔になった。

昔から感受性が微妙な上に涙のタンクも枯渇気味だった私に、

感情を取り戻させてくれた泉。

 

あの涙で自分が変わったような気がしている。

 

もし私が不妊じゃなかったら、

縁で繋がった何にも代えられない6人きょうだいと

楽しく暮らす今はきっと無かった。

 

そう思うと、かつては不運を呪うのみだった「不妊」も自分の一部で

私をかたちづくる大切な要素、なのかもしれない。